家族だと思う

影山雑記

あと2時間ほどで42歳の誕生日を迎える。

昨日、前倒しで家族が誕生祝の会食を準備してくれた。

以前お世話になった古巣の雨ことばカフェだった。

42歳の発起でまたブログを書いていこうかな、と思ったのは、インフルエンスとかPVとかそういうものが目的ではなくて、シンプルに墓標を立てるつもりで想いを綴られたらいいのかな、と、こういう読み物がまた時を経て自分や家族や誰かに届くことは、それはそれで素敵なことだな、と思ったから。まあ、ゆるくやろう。

二年前にテガミスタジオを創業して、言わずもがなコロナのこともあって、ずっとバタバタしながら生きてきた気がする。

ただ、会いたい人に会えなくなったのはコロナのせいだけでもない気もする。

とにかく自分の事業を何とかしないといけない、コロナが無かったとしても、同じように考えが変わったのかもしれない。

創業してしばらくして、ブログやツイッターなども止まってしまった。

止まってしまったというよりも、自分から身を引いた。

なんていうか、数字や影響力が全てという世界から身を引きたかった。

そもそも自分には向いていなかったのかもしれない。

もちろん、それらによって今が形成されていることは間違いないのだけれど、いつもどこかで「他人から自分がどう見えるのか?」ということが頭の片隅にこびりついているような気がして、ある日突然それらがなんだか全て疎ましくなってしまった。

スタジオを創業して、それまで認知度を上げることばかり考えてきていた気がして、でもスタジオの利用者の皆さんと話したりするうちに、知らない誰かよりも目の前の人に寄り添いたいと思ったことも大きかった。

根本的にそういうことを考える人間だったのかもしれない。

高校生の頃、ある事件を起こして謹慎を食らったことがある。

その時に、自分を救ってくれた家族や友人に恩返しをしたいと思った。

思えば小さな頃から自分の存在意義みたいなものをずっと考えていて、それはもしかしたら自分以外のもののために何ができるか?ということなのかもしれないと考えたことがある。

紆余曲折を経て、そんなことも忘れて自由に生きて、色んな喜怒哀楽を味わって、自分の店を開業して全部が一本の線でつながったような気がした。これで終わりだとも思ってはいないが。

お陰さまでテガミスタジオは創業二周年を迎え、本当に沢山のお客さんに愛されるようになった。

今ではスタッフにも支えられ、沢山の仲間ができた。

明日には新しくジェラートショップも創業となる。

一時は生きている意味なんて無いんじゃないかとダムの淵に立ったこともあるような人間だ、本当に人生どう転ぶかなんて分からないのだ。

「家族」という言葉は、この二年で深い意味を持つ言葉になった。

それは一緒に住む妻や子だけに限らず、親兄弟など親族、一緒に働くスタッフ、音楽を共にするバンドメンバーなど、深いといえば深いし、結構軽率に「家族」だと思うようになった。

先日、義妹が結婚式を挙げて、妻の家族と沢山話ができた。

当たり前だが結婚式にも参列し、義父や義母の生家や墓を紹介された。

妻は「連れまわしてごめん」なんてバツが悪そうにしていたが、私は妻の家族と本当の意味で家族になれた気がしてとても嬉しかった。

逆に誰かと何かをする、となったとき、「家族」と思えるかが重要なことだと理解した。

家族だなんて結構ヘビーだし、簡単に口にすることでもないような気もするが、でもやっぱり私にとって大事な人は家族のつもりで接したいと思う。

いつもそばで支えてくれる妻。

一緒にいるだけで幸せな息子。

心が繋がっている親兄弟。

スタジオを盛り上げてくれるスタッフ。

明日から一緒に創業となる仲間。

バンドで私と音楽をやってくれるメンバー。

スタジオでいつも遊んでくれるお客さん。

応援してくれる友人知人。

癒しをくれる猫達。

みんな大事な私の家族。

私と一緒に居られて幸せだと思ってもらえるように。

一緒にいることを誇りに思ってもらえるように。

その人たちの人生に寄り添えるように。

本当にそれだけで充分。

私が生きている価値がある。

私の人生、そんな人生がいい。

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