キクイモの栽培

 

実家近くに借りた畑に春先、50根くらいキクイモを植えたのだが、先日めでたく芽が出てきた。

 

 

こうやって自分の手で植えたものが列挙して発芽しているのを見ると結構壮観である。

 

キクイモは非常に繁殖力が強いとの話を聞いているので、畑の端っこのほうの畝を2.5列ほど植えた。

残りの0.5列には落花生を植えた。

 

長ネギも順調に育っているようだ。

 

 

前記にも書いたが、なんというか、とにかく最近花苗や野菜が我が子のように心配になる。

慈しみの心。

 

よもやこの僕が野菜の苗を見て可愛いだなんて思うとは。

人生分からないものである。

 

 

高校生二年生の頃、自分が生きていることについて、生まれた意味が蒙昧として深く悩んだことがある。

まあ今となっては所謂中二病とか揶揄されてしまうが、生命について悩みすぎてちょっとの間不登校になった。

 

意味もなく夜の街を徘徊したり、当てもなく電車に揺られて全然知らない街に降り立ったり、いつも生きる意味を模索していた。

この命は本当はこの世に必要なかったのではないか?と。

 

その時は恐らく人生に温度が無かったのだと思う。

何か辛い事があって生きている意味が分からなくなったんじゃなくて、ただ単純に「生」への興味と温度を喪失してしまった。

 

その後不祥事を起こして暫く停学になったことがきっかけで為体は中和し、人生への勃興が少しづつ成された。

 

新芽を見ると、その頃を思い出す。

若々しくてエネルギーに満ちているように見える反面、どこか外界に対する畏怖や慄きを内包しているようにも見えた。

 

そういう部分も踏まえて、もしかしたら他人じゃないような感覚を覚えるのかもしれない。

 

 

 

そういえば、畑の隅っこにミョウガとウドが自生していた。

 

 

自生というか、恐らくもともとこの畑を使っていた方の置き土産であろう。

 

放っておいても勝手に生えてくる。

 

愚直なまでにひたすらに空を目指す草花たちに、いつも何かを諭されている気さえする。

 

 

せっかくだから、今夜はミョウガご飯にしよう。

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