夢を追う

影山雑記

春は出会いの季節でもあり、別れの季節でもある。

そんな節目に、テガミスタジオのスタッフも入れ替わりがあった。

夢を携えてテガミの門を潜った者があれば、夢を追いかけて卒業した者もある。

私の事業に於いては(というか私の本質的な部分でもあるが)、ずっと同じままでいる事を前提とはしない。

終身雇用云々とかそういう話ではなく、誰しもがいつかはこの場所からいなくなるものだと考えているからだ。

いつからか、私は港のような人間でありたいと願った。

来る者は拒まず、去る者追わず。むしろ大手を振るって背中を押してあげられるような、そんな港のような存在でありたいと考えたのだ。

逆に言うと、少なくとも港に訪れ寝食を共にした同士であろうと、何かしらの決意を胸に船出を考えている者に対して「行かないでくれ、ずっとここにいてくれ」なんて後ろ髪を引くようなことは言いたくないのだ。

今年になって辞めたスタッフは、一人は作曲家を目指して故郷を後にするそうだ。

この四月で卒業したもう一人は、バンドに一縷の夢を描きつつ上京をする。

彼が高校生の頃、彼の父親から頼まれて、彼にギターを教えることになった。

なんでも高校を中退し、家庭の事情で生家を離れ、祖母の住む片田舎に身を寄せたとの話だった。

彼は過去に色々とあったようで、少し人との付き合いが不器用なようだった。

心療内科にも通っていたそうで、私が初めて彼に対面したときは本当に心配したものだ。

ある時は一緒にバンドをやり、ある時は一緒に曲を作り、テガミスタジオでスタッフとして雇用し、そんなこんなでどのくらいだろう、4年くらいかな、彼はもう半分自分の子供のような気持ちで接してきた。

彼に出会った時から、私は心に決めたことがあって、それは、「普通の一人の男」として接するということ。

特別扱いはせず、無駄に優しくなんてことはせず、とにかく一人の男として付き合おうと決めたのだった。

ある日、スタジオの業務中に彼を叱った事がある。

勤務態度や仕事に対する姿勢が温いと思ったからだ。

言い過ぎたかな、と思ったが、甘やかしていては駄目だと思い、割と真剣に説教をした。

「僕はこのスタジオに、自分の仕事に命を懸けている。だから、一緒にここで働くならばバイトだろうが社員だろうが関係なく、責任を持って取り組んでくれ」

このような話だったと記憶している。

あまりの真剣さに彼は泣いてしまった。

非常にバツが悪かったものの、その時は親になった気持ちで叱ったので、これで彼の中の何かが変わってくれればよいな、と思った。

彼は本当に不器用で、ちょいちょいミスをしたが、それでもいつも勤勉に働いてくれた。

そこが好きだった。

不格好でも、何度失敗しても、いつも僕のスタジオのことを考えてくれていることを私は知っていた。

雇用主として、それほど信頼を感じることはないだろう。

本当ならこのまま働いてくれるのでも全然ありがたいが、彼はずっとバンドで東京に行きたい気持ちがずっとあったようで、かくいう私もいつかは音楽に人生を賭して故郷を離れた身、彼の上京を止める理由など微塵も無かった。

彼から最後に手紙を貰った。

号泣しそうだったので帰宅して色々終わった後にコッソリ読ませてもらった。

感謝してもしきれないのはこっちのセリフだよオウちゃん。

君はもう僕の家族だ。

夢を追うことは大切だ。

夢を追うことで得る仲間や感情や喜怒哀楽や、もう兎にも角にも全部、夢を追うことをしなかったら得られないものだ。

人は歳を重ねるたびに夢を追うことを忘れていくし、恥をかくことをやめていく。

若いうちはどんどん首を突っ込んでやりたいことをやるべきだ。

否、別に老いも若きも関係なく、夢を追いかけて恥をどんどんかけばいいとさえ思う。

人生は一度きり、有限だ。

自分の幸せは自分で作り上げるのだ。

彼と過ごしたこの数年間は、私にとってもかけがえのないものだ。

実の子じゃないのに実の子のように思えたのは多分最初で最後な気がする。

願わくば彼の航路が光に満ち溢れますように。

そしてその航海の途中でもしこの港に立ち寄ることがあるならば、それまで何があったのか、帆を畳んでゆっくり話を聞かせてほしい。

ここはきっといつまでも変わらず、君の港なのだから。

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